天皇皇后両陛下の恋のキューピットが語るテニスコートの恋と電話作戦

池

令和への年号が変わることで、天皇両陛下の役目も交代されることとなりました。

各報道は平成の時代を振り返る番組が多く放映されています。

 

また天皇皇后両陛下の思い出も振り返られるものが多くあります。

その中で天皇陛下をよく知る恋のキューピットと言われる織田和雄さんからの両陛下の出会いについて書きました。

 

有名なテニスコートの出会いについてです。

その後の電話作戦もあります。

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目次

天皇陛下と美智子さまの出会い

天皇陛下と美智子さまが出会われたのが1957年(昭和32年)8月19日、場所は軽井沢のテニス大会です。

ここで両陛下は運命の出会いをなさいました。

これはとても有名な話ですね。

テニスラケット

陛下と美智子さまは初めて対戦したテニス大会でした。

天皇陛下と早大学生のペアと美智子さまと13歳のカナダ人ペアで試合をしたのです。

準々決勝の4回戦で出会われました。。

<試合経過>

セット 点 数 勝 者
第1セット 6-4 陛下ペア
第2セット 5-7 美智子さまペア
第3セット 1-6 美智子さまペア

 

それでは天皇陛下のテニス仲間の織田氏からの話を紹介します。

織田和雄さんとは

織田さんはテニス仲間です。

天皇陛下の2歳後輩で、大学まで学習院に通いました。

織田氏の兄が陛下と仲の良い同級生なのです。

両陛下のご成婚までのいきさつ

織田さんによると、天皇陛下は美智子さまに対して

「あんなに粘り強く正確に返球されたらかなわないね」

と言われたそうです。

 

その後は陛下と美智子さまはテニスでお会いしたりしていたそうです。

1958年(昭和33年)春に天皇陛下は、美智子さまへの思いを織田さんに口に出されました。

キューピット役である織田和雄さんが陛下から来いの悩みを明かされました。

「正田さんを候補の一人として検討してみてください」

と言われました。

 

1958年8月16日に正田家の軽井沢の別荘へ東宮参与である小泉信三氏が美智子さまのお父さまである正田英三郎氏へ結婚への打診の電話をしました。

 

しかし、残念なことに正田氏は大変なお役目のためお断りなさいました。

天皇陛下はあまりうまくいっていないことを話されたそうです。

 

その後、電話作戦がはじまったのです。

天皇陛下の思いがとても熱いですね。

天皇陛下の電話作戦

バラのプリンセスミチコ

10月28日に織田氏が御所に呼ばれました。

「皇太子に迎えたいので、電話を取り次いでいただけませんか」

こう言われて、陛下から織田さん、織田さんから正田邸へと電話がなされました。

「今 御所の書斎の前でお待ちですから電話をかけてください」

とお願いしました。

織田氏はここで恋のキューピットの役目をしたのです。

こうして陛下は美智子さまと電話でお話できたのです。

 

直接の電話では誰が出るかわかりませんから、相手をびっくりさせてはというお気持ちがおありだったのでしょう。

ですから間を取り持つような役割に織田氏はなったのです。

 

その後は20日間くらい毎日このような経過で電話をしたのです。

11月8日に陛下は織田さんに「言っちゃったよ」と言われたそうです。

陛下は美智子さまに

「公的なことが最優先であり私事はそれに次ぐものでお役に立てないときもあるかもしれないし不自由なこともあります」

「それでもYesと言ってください」と・・・。

うそ偽りのない正直さと情熱に美智子さまは心を動かされたのでしょう。

皇室典範

ご婚約成立での取材で

その後婚約が決まったあとの取材で、当時24歳だった美智子さまは答えています。

「皇太子さまの(当時)の第一印象は?」

「とても清潔なお方だという印象をお受けしています」

「テニスはどちらがお強いですか?」

「それは皇太子さま(当時)の方がお強いです」

「皇太子さま(当時)のどういうところに魅力を感じましたか?」

「とてもご誠実でご立派で心からご信頼申し上げ ご尊敬申し上げていかれる方だというところに」

とお答えになっています。

退位について

また、今回のご退位については26年前にすでに考えをおもちになっていたことがわかります。

これは織田氏が退位ということについて、記者から聞かれた時にふと思い出した当時26年前のメモから判明したことでした。

 

電話を受けたあとかなり長い間いろいろな話をしてくださったそうです。

当時(26年前)の陛下のお気持ちをわかっていた訳ではないが、メモをしたということです。

それが出てきたということです。

メモは1993年(平成5年)1月23日付のものです。

昭和天皇―退位問題 かげでお助けする

ずっと忍耐を続けている―皇太子の代に明るい皇室(過度期)となれば

というメモだそうです。

メモのことは忘れていたということですが、そんな前からお気持ちがあったのですね。

まとめ

天皇皇后両陛下のなれそめのいきさつを聞くととても微笑ましく思えます。

いつまでもお元気で日本を見守っていて欲しいと思います。

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