谷中七福神めぐりの地図マップでらくらく巡ろう!期間はいつまで?

谷中七福神

お正月に一年の福を呼ぶように七福神の祭られている神社仏閣を巡り参拝します。

併せてその七福神それぞれの御朱印をいただいて一年間のお守りにするのです。

なんともお正月らしい縁起のいい行事です。

各地にこのように七福神のいらっしゃいます指定された神社仏閣を、一月の初めに巡りましょうという「七福神巡り」はありますが、日本で最も古くから行われているとされます東京の「谷中七福神巡り」をご紹介します。

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目次

谷中七福神めぐりの混雑について

数ある七福神巡りの中でも大人気のコースなので、三が日はかなり混雑しています。

参拝にも、御朱印にも列が出来ているでしょう。

 

また大型観光バスで団体でのツアーコースにもなっているようですから、重なってしまうと大変かもしれません。

 

2019年は1月5日、6日が土日となりますので、このあたりまではかなりの人出となっているでしょう。

7日から10日くらいになれば少し落ち着いていると思います。

谷中七福神めぐりの期間

谷中七福神めぐりは10日までとなっています。

1月のこの期間だけご開帳になっていて、直接仏像を見ることができます。

(寛永寺の弁財天は見ることはできません)

七福神とは?

七福神とはそもそもなんでしょうか。

古くから「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」という思想があるということを先ずは考えてみましょう。

 

そして室町時代になると、中国に古くらからある「七賢」への敬愛が日本でも水墨画として表されるようになり、その七人に神を模したこと。

七福神信仰はこの二つに始まるようです。

 

「本地垂迹」という思想は仏教が神道の国であった日本への浸透を計るために考え出した、まさしく神仏習合の思想です。

 

日本に古くから存在しています八百万の神々は実は如来、菩薩、明王、そしてその他天界に住む仏教神の化身であるという考えです。

 

権現様とはこの事なのです。

日本の神々は仏教の仏、菩薩などの仮の姿なのだということです。

これが神仏習合の本質でした。

 

ですから明治維新となりますと、新政府は天皇親政の正統性をあらためて認識させるために、この神仏習合を否定し記紀神話の神のみを国家神道の根本に位置付けたのでした。

 

それ以前の時代において、このような神々と仏様、菩薩様の融合の中から七人の福をもたらす神々が選ばれ、「七福神」となっていったのです。

 

歴史的にはそのメンバーにはさまざまなバリエーションがあったようです。

知恵を司る「虚空蔵菩薩」、農耕神の「稲荷大明神」、その他、「不動明王」「愛染明王」、道教の「鍾馗様」、などが含まれたりもしていました。

現在は次の七神とされています。

恵比寿

日本を作ったとされます神様イザナミ、イザナギの子どもです。

漁業、農耕そして商売繁盛をもたらす日本古来の神様です。

神仏習合の本地仏としては毘沙門天あるいは不動明王の化身ともされていました。

大黒天

インドのヒンズー教のシバ神が仏教の守護神の一人とされ密教を通じて財福や食物の神とされました。

神仏習合では大国主命がその化身ともされていました。

毘沙門天

ヒンズー教の軍神クーベラ神でしたが仏教に取り入れられ日本では福徳増進の神とされています。

弁財天

ヒンズー教の女神サラスバーティー神が仏教では音楽、財福、知恵の天女となり日本に伝えられたのです。

河川の神でもあり、港湾、治水地などで弁天堂として祭られていることも多く、そこでは完全に神社の御祭神となっています。

神奈川県では鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社や江ノ島の江島神社が有名ですね。

福禄寿

道教の神様でした。

子に恵まれ、財産を有し、健康で長生きするという三徳をもたらします。

寿老人

こちらも道教の神です。

不死の霊薬入りの瓢箪を携え、長寿を表す牡鹿を連れ、また長寿のシンボルの桃を持っています。

布袋

中国の唐の時代の末期に実在した禅僧とされています。

手にした袋には無限の富が入っているのです。

弥勒菩薩の化身ともされていました。

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谷中七福神をめぐる

それでは谷中七福神巡りに出かけましょう。

JR山手線または京浜東北線の田端駅からスタートです。

およそ6キロを3時間程度で廻ります。

 

もちろん急げば時間は縮まりますし、のんびり行けばもっとかかります。

そこはお好みですね。

せっかくですから各寺院で御朱印をいただきましょう。

御朱印帖を持参してもいいですし、期間中(元日から10日間)は和紙の台紙に七つの御朱印を書いていただけます。

谷中七福神めぐりの地図&マップ

下のマップを参考に回ってください。

また、駅などでパンフレットが手に入るといいですね。

白龍山東覚寺 福禄寿

【所在地】北区田端2-7-3 

・真言宗豊山派

創建 1491年、現在の地には1600年頃に移転しました。

健康を願う赤紙を貼る仁王像、金剛力士像が置かれています。

そして福禄寿が祀られています。

和紙の台紙に御朱印をいただきますと初穂料は1200円となります。

青雲寺 恵比寿様

【所在地】荒川区西日暮里3-6-4 

・臨済宗妙心寺派

江戸時代から花見寺として有名な、春には桜が美しいこのお寺には当時の文豪、南総里見八犬伝の作者滝沢馬琴筆塚の碑があります。

そして恵比寿様が祀られています。

ここからは御朱印の初穂料200円のみとなります。

修性院(しゅしょういん) 布袋尊

【所在地】荒川区西日暮里3-7-12 

日蓮宗 江戸時代からお花見の行楽地として賑わっていたお寺です。

木造布袋尊像が安置されています。

大道山長安寺 寿老人

【所在地】台東区谷中5-2-2 

・臨済宗妙心寺派

1712年より当地に移転しています。

御本尊は千手観音座像です。

そして寿老人堂には3尺5寸の寿老人座像が鎮座しています。

護国山尊重院天王寺

【所在地】台東区谷中7-14-8 

天台宗 毘沙門天

創建 1274年

御本尊は阿弥陀如来です。

そして木造毘沙門天立像が祀られています。

東叡山寛永寺護国院 大黒天

【所在地】台東区上野公園10-18 

・天台宗

寛永寺の最初の子院で、1625年に創建されています。

御本尊は釈迦如来です。

そして大黒天像が置かれています。

不忍池弁天堂 弁財天

不忍池弁天堂

【所在地】台東区上野公園2-1 

・天台宗

1640年頃に創建されています。

現在の建物は1958年に再建されたものです。

御本尊が弁財天です。

八本の腕にはそれぞれ武器が手にされていて、煩悩を打ち破るとされています。

八臂弁財天様なのです。

まとめ

「谷中」とは現在の台東区の西側で荒川区や文京区と接するところです。

本郷台と上野台の谷間を意味しているのです。

寛永寺が建てられたあとこの地にその子院が次々と建てられました。

 

さらに17世紀中に多くの寺院が移転してきました。

江戸城の鬼門、北東方向をお寺で埋め尽くしたのです。

 

裏鬼門、南西には増上寺がおかれていました。

徳川時代の天下太平はこのような陰陽道の考え方で作られたものでもありました。

谷中七福神巡りでそれが実感できるかもしれませんね。

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